なおこのつぶやき

奇跡を起こすために、本当に、大切なこと~

1、モヤモヤというサイン

手術入院が延期になり、
みなさまからたくさんのあたたかいメッセージをたくさんいただき、とても支えられました。

わたしを思ってくれてのことばは、全てうれしい、はず。
なのに、なんだかもやもやするー!何だコレは!!!

「からだがとめてくれてよかったね」
「手術しないで治るかもね」
「奇跡の光を感じるよー」

この奇跡メッセージ、どうも臭うなぁーと思って見てみたら、
すっごいネガティブな私、思いもよらなかったコアビリーフを発見してしまった!
これをどうにかしないと、奇跡なんて起こるわけないよね。

ひさびさの激震!
どれだけ人生に影響与えてたかって思ったら、自分のためにも書いておこうと思います。

2、怠惰な手放しはネガティブな味

『奇跡とか、そんな簡単に言わないでよねーーー』

内心、密やかにそう思ってた。
やさぐれながら。

だって、筋腫も嚢腫もなくなっちゃうなんて奇跡は、
起きてくれたらうれしいけど、
どちらも小玉スイカ級、現実的には難しいよな。

だから
「奇跡は起きても、起きなくても、どちらでもよい」

そう思って手放していたつもりだった。

でも、これが全然違った!!
それこそ、「そんな簡単に言わないでよねー向き合ってないくせに」
と、今さら自分に突っ込みたくなる。

この考えに至ったこころのプロセスを見直すと、わたしなりに理由はあった。

 

① 「願いすぎると叶わない」から
「絶対無くす!」っていうのは、意識だ。
ポテンシャルが圧倒的に高く、現実を創りだすのは無意識。
無意識は、常に1人称で、時間軸がない。
だから「今」を叶えて行くことになる。
で、「絶対無くす」って思っている人は、どういう人なのか?

「今、ある人」だ。

無くしたい!って強く願いすぎると、「今ある」状態が叶い続けちゃうことになる。
だから、強く願わないのが正解!
→で、「どちらでもよい」採用。

②とにかく、疲れたから
半年間、いろいろ治療を続けた上に、最後は顔が腫れて、1か月以上辛い状態が続いた。
いろいろやったのに、からだにストップかけられて、
こころもからだもとにかく疲れてしまった。。
これからどうしていいかわからないし、どうしたいのか、今すぐは考える余裕がない。
→とりあえず、「どちらでもよい」採用。

③これ以上、傷つきたくないから
無くすためには、「無くすって決める」ことから始まる。
それで努力して、結局それが叶わなかったことを考えたら、どれだけガッカリするだろう。
恐ろしくてそんなこと考えたくもない。
今回だっていろいろ考えて、「手術して治す決断」して、お金も時間もかけて治療したのに、しんどいアレルギー反応で、結局手術は叶わなかった。
複雑な気持というか、もうあんまり何も感じない。

そんな中で「奇跡」メッセージをもらうと、これまた複雑で、、
→だから、もう「どっちでもよい」採用。

ここまできて、ふと思った。
「どちらでもよい」を逃げに使っているのかもしれない。
がんばらない、欲求をもたない、あるがままを受け容れることが委ねること。
「こうしていきたい」という方向性を自分で決めないことを選択し続けている状態が
「どちらでもよい」になっているのではないか。
それは、自分を小さく見積もっているのと同じことだ。

真の手放しが起きているときは、ラクで清々しいはずなのに。
怠惰な時は、ネガティブな味がする。

 

わたしの現実世界はわたしが創っているので、
「流れにまかせる、ゆだねる」こと自体はO.K.であり、意思を放棄することではない。
でもそれは、その前に、私が思考し、行動し、宇宙に発したものを
「自分の責任でその状況を持ちます」ということだ。
だからわたしと向き合うことなしに、天にまかせるということはありえない。

「どちらでもよい」は、向き合った上に成り立つ手放しのはずだ。

これは、自分に起きていることにしっかり寄り添い、見ていく必要があるってことだ。
コワくても、見たくなくても、
自分という存在、内なるわたしとの深い関わりをわたしにゆるす必要がある。
モヤモヤはそのサインかー

3、「奇跡なんて起きるわけない」の根底にあるもの

私がした「奇跡は起きない、起こさない」手術の選択。
それなのに、意志とは関係なく、強制ストップがかかった。
それから、奇跡が起きても起きなくてもどちらでもよくなったのに、
奇跡が起きてもいい何かを、準備を、私はまったくしていなかった。
その真の理由を、わたし自身も初めて知った。

今年に入って、ドクターに言われた言葉の数々。
「放っておくともっと大きくなる」
「癌化する可能性もある」
「捻転したり、破裂したりすることもある」
「とにかく早くしないと手遅れになる」
「重症なので、どの患者さんよりも最優先です」

不安をあおられることばの数々。
でもそれだけじゃなく、実際に辛い身体症状から早く抜けたかった。
手術した友人に言われたことばにも背中を押された。
「もう気にしないでやりたいことができて、今がしあわせすぎて、忘れちゃったー」
だから決断したはずだったんだけど。

手術決断の理由には、もっと深くてネガティブなものが眠ってた。

『わたしに奇跡なんか起きるわけない』

そもそも、奇跡ってなんだ?
常識では絶対に起こり得ない、不思議な出来事。珍しい出来事。神による思いがけない力の働きみたいな?
本で読んだり、体験談聞いたこともある、「次の日にはなくなってました」みたいな。

「うそぉーん」
「この人は特別」
「ほんとだと思うけど、私にはないかな」

そう思ってるから、奇跡、起きないよね。
そもそもなんでそう思うんだろうと思って、
こころの海の底深く潜ったら、
さらに、そこには冷たく横たわる驚愕のビリーフにぶち当たった。

だって、小さい頃から虚弱、低体温、低血圧、貧血、すぐ疲れるし、風邪ひく。
朝起きられないし、いっぱい寝ないと元気にならない。
アレルギーあるし、免疫低いし、とにかく健康じゃない。
やりたいことがやれない。
何度も何度も人に迷惑かけて、何回も何回もがっかりさせた。
ずっとずっと、わたしの人生の邪魔をするのはからだ。
人生の中心を歩くのは、わたしのはずなのに、からだがど真ん中を歩いてる。
からだは信用できない。
わたしは弱い。

知らなかった自分への否定的な思い込みに愕然とする。

そうだ、私は弱い。
私は弱いんだ。
だから、
わたしに奇跡なんか起きるわけないじゃん!

このうばわれる感じは、
居心地悪いけど、もう随分と慣れ親しんだものだ。
当たり前すぎて、気づきが生まれないこの沼のような感覚に、もう随分長い間浸かってる。

そうか、そうか、そんなふうに思ってたんだって気づいたら、なんか涙が出てきた。

手術はホントはイヤだったんだ。
でも、奇跡も起きっこない。

この相反する内側の葛藤を、対立を、なんとかしなくては。
これをひとつにまとめて統合する。エネルギーがひとつにまとまっている状態にしないと、
どうしていいかわからないし、動けない。
だから「どっちでもいい」になってたんだ。

「奇跡は起きても起きなくてもどちらでよい」

そう思っていたのは、頭だけだったんだ。

とにかく頭で考えまくって、自分と向き合わず、
思考だけで自分を支えよう、どうにかしようとしちゃってた。
ほんとにもう、まったくもって自分を信頼してなかった。

4、こころが変わると、奇跡が臨む

 

でも、気づいた。
「わたしの人生の中心はからだでよい」のだ。

からだ=わたし、だった。
意識は頭で、からだが無意識だから。
からだは魂の器であって、からだが全ての土台だから。

いつも、病気で邪魔しやがって、って、内心舌打ちしながらやってきた。
だから、からだの声は聴かないし、無視。
まあ、余計に主張してくるわけだよね。

それだけじゃない。
思考は必ず現実化する。
「わたしは弱い」と思っていたら、
その証拠がどんどん私に集まってくる!もうそんなのイヤだ!!

私は弱くない。
そして、奇跡も起こせる。

わたしのからだは強く、とにかく敏感だ。
ホルモン治療が合わない人なんてあんまりいないみたいだけど、
わたしのからだは薬物や食物、からだによくないもの、合わないものを拒絶し、体の外に追い出す力がある。

「私は強い」

こう思うだけで、なんとパワーのみなぎることか。

奇跡を起こせる。
無くすことはできる。
だって、作ったのも私だから。

奇跡とは、起きるのではなく、起こすものだった。
奇跡とは、突然なくなるマジックのようなものではないのだ。
奇跡とは、ただ起きるのを待つものではなく、
信じるこころと善き想いで行動することにより起こりえるものだ。

奇跡を起こすために必要なことは、
やっぱり「強く願うこと」

何よりも強い想いと、
その想いに伴った行動によって、奇跡を引き寄せることができる

奇跡は自分でおこすもの。
諦めないこころが奇跡を引き寄せる。
奇跡を起こすだけの想いと行動が必要で、
ただ祈っているだけでは何もおきない。
強い想いとその気持ちがのった行動により、
奇跡の方から臨むことが、確かにあるのだ。

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私は強い。
私は愛にあふれています。
私には力があります。
私には、ネガティブなエネルギーやストレス、
不要なものを、からだの外に追い出す力があります。
私は、からだもこころも、思考も感情も、スピリチュアルもすべてが健康です。
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なんとパワフルだろう。
自分の内側からエネルギーがみなぎる感覚。
中心からととのう感じ。

ここからまた始めよう。
そして、起きた奇跡は歓迎し、起きなかった奇跡があったとしても、
そのプロセスにイエスと言おうと思う。

わたしに奇跡メッセージをくれたみなさまに、こころから感謝します。
素晴らしい気づきを与えてくださったことに、こころから感謝します。
やさぐれててごめんなさい。笑

 

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